そういえば最近あこがれていない
今日読んだのは、積読したままだったこの本でした。
5時に夢中!で中瀬親方がおすすめしているのを偶然見て、普段は高いから単行本はあまり買えないのだけれど、
「前回偶然見た時、中瀬親方がすすめていた本『ふがいない僕は空を見た』はとってもよかったから、今回もきっと面白いはずだ」
と、えいやっと本屋に走って買いました。
※ネタバレ?あり。ご注意ください。
参考
『あこがれ』
あらすじ
第一章「ミス・アイスサンドイッチ」
主人公は小学四年生の男の子。スーパーのサンドイッチ売り場の店員さん「ミス・サンドイッチ」が気になってしょうがない。夏休みの間、通い詰めるほどに。
第二章「苺ジャムから苺をひけば」
主人公は小学六年生の女の子。お母さんは小さいころ亡くなって、映画評論家のお父さんと二人で暮らしている。
ある日、パソコンを使った授業中に、男子が勝手に検索したお父さんのプロフィール画面を見てしまう。
感想
まず、
「どうしてあの感覚を、作家の川上さんは知っているんだろう」
と思い、
「ああ、みんなかつては子どもだったんだから、川上さんだって子ども時代のあの感覚を書いたのか」
と思い、
しかもこの本がとても人気があると知り、
「え、じゃあ子どもの頃のあの感覚って、恋や失恋や「お化け怖い」みたいに大勢の他の人と共通した感覚なんだ」
とびっくりした。
当時はそんなこと、思いもしてなかったから。
友達はともかく、自分の親や先生や知らない大人の人も、自分が毎日感じていることや不思議や違和感や感覚を知っていたなんて。
「ミス・アイスサンドイッチ」の外見は、周囲の態度や言葉から、かなり悪い意味で目立つ外見なんだということがわかる。
けれど、麦くんの世界から見ると「ミス・アイスサンドイッチ」はとっても魅力的だ。
「ミス・アイスサンドイッチ」には申し訳ないけれど、一番好きだったカミキリムシを思い出した。
カミキリムシはとってもかっこよくて、なんというかキリッとしていて、孤高だった。
クワガタもかっこよかったけど、カミキリムシは別格だった。
(でも友達も「カミキリムシが一番かっこいい」と言っていたから「ミス・アイスサンドイッチ」とはちょっと違うかもしれない。どれくらいの人が「カミキリムシが一番かっこいい」と思っているんだろう)
それと、おばあちゃんの匂い。
おばあちゃんの部屋の匂い。
おばあちゃんの二の腕(ふりそでと呼ばれる部分)がありえないくらいに柔らかくて、いつまでも触っていたいくらい柔らかくて、夏になるとその真っ白で全く弾力のない二の腕を時々触らせてもらっていたこと。
夕方になると、何だかわからないのにとても悲しくなって泣いていたときの感覚。
世界がふにゃふにゃで、周りの音や言葉が遠くて、「わたし」のことしかわからなかったこと。
「苺ジャムから苺をひけば」のへガティーの、父親が許せないというか、知らない人になってしまった感覚を思い出した。
自分が知っている限り、「お父さん」はずっと「お父さん」で、かつては自分みたいに若かりし頃があったということは言われればわかるけれど、「お父さん」は「お父さん」の人生だけしかないような感覚で親のことを見ている。
それがある日突然「男の人」とか「男性」とか、そういうものに見える。そんなもの見たくない。知りたくない。でも知ってしまった、知らされた怒り。
大人になると、大人の事情というのか、離婚や再婚をする側される側の当事者の目線をついつい考えがちだけれど、その目線に行くまでにたくさんのショックや怒りを経験して当事者目線を持つようになったことを思い出した。
でも、私の中にまだ「当事者目線」を持つ前の感覚が残っていたことに驚いた。
一方で半分のお姉ちゃんに憧れる気持ち。
アオさんの経験してきたショックや怒りのこと。
読んでいた時はちょっと感情的になりすぎていて、泣きっぱなしだったから、時間を置いてまた考えたり読み返したりしようと思う。
でも、この本から、「見守る」ということがどういうことなのか、わかった気がした。