アイデンティティと容易い居場所
『コンビニ人間』を読んだ。
感想とは全然関係ないけど、Kindleで読んでいたら本の厚み具合がわからないので突然終わった気分。
本とKindleの違いは私にとってはここだな。
それはともかく。
コンビニでバイトしたこと有りますか?
学生時代夕方から夜まで4時間とかじゃなくて、もっとがっつりと。
私はあります。
もちろん夕方からせいぜい夜10時までというのから、
朝6時から昼過ぎまで。
あと朝8時から夕方まで。
店も年齢も勤続年数も環境も違いましたが、ふと思い出しました。
コンビニには「始まり」も「終わり」もありません。
ずっと続くコンビニに「参加」し、「離脱」するので、日常にガッチリ組み込まれると、オンラインゲームのように、「今どうなってるだろう」と考えてしまいます。
そして意外とお客さん含めメンバーは変わらないし、やることも大きくは変わらないので慣れてしまえば楽なのです。
でもちょっとしたトラブルあり、繁忙期あり。人事異動の時期なんかもあり。
長くいると居心地がいい。
業界が一緒ならだいたいすぐ仕事できるし。
まあ、だいたいの仕事って、そうですよね。
たまたまそれがコンビニだったということ。
そして向いている仕事がコンビニの仕事だったということ。
この物語のポイントは、「コンビニバイト」という職に対するイメージや価値観に左右される部分も大きいと思います。
いつも思うのですが、この職に対するヒエラルキー(個人差はあるだろうが)って、年収は関係ないですよね。で、考えると、なりにくさ、採用され無さ度合い、倍率?とかなのかなと。
「なりにくい=ありがたい」みたいな。
この本の主人公の女性は、多分日本ですごく生きづらいとおもいます。
でもちゃんと生きられる場所を自力で見つけられて、幸せな話だと思って読みました。
以前書いた『羊の木』じゃないですが、どんな人でも、場所があれば生きられると思います。
そうやって折り合いつけて、ちゃんと自分で自活できて迷惑かけないで、むしろ役に立って、やりがいも見いだせてるなんて、すごく賢くて客観性があり、スマートで素晴らしいと思います。
『朝日ともあろうものが』という本がありましたが
世間の 「朝日」のヒエラルキー有りきの話の本なわけです。
私は朝日新聞を購読していなかったし、そもそも「新聞記者」に対するイメージが漠然としていたので、ただの「グズグズな会社の話」と思って読みました。
同じように、世間の「コンビニバイト」のヒエラルキー有りきの本なわけです。
この本は、「ヒエラルキー有りき」と「ヒエラルキー知ってるけどどうでもいいじゃん」の話で、私は「どうでもいいじゃん」側なので、攻防戦が面白かったです。
まあ、何にでも言えるのですが、「専業主婦」VS「兼業?主婦」とか、「実力派」VS「キャリア」とか。
雇ってる側に美味しいだけなんだから、仲良くやろうぜくらいにしか思いませんが、アイデンティティも含むと難しいですよね。
そんな中、主人公の女性は、コンビニバイトのヒエラルキーとか地位向上とかそんなんどうだって良くって、宗教的にすら感じる信心度でコンビニに日常と人生とを満たしていく具合が、一部サラリーマンの顔と、何か(宗教とか歌手とか)を熱狂的に信じている方の顔と重なり、「ちょっとうらやましいな」と思いました。
一方、無職のヒモは、ガンガンにそのヒエラルキーを感じ、がんじがらめにされていて
、なんとかそれを打破しようと、言葉巧み(と本人は思っている)に自分のヒエラルキーの低さや、それに付随するカタルシスを打破しようと奮闘する。
この男性の外見を、私はなんとなく、水木しげるさんが描く前歯の大きいいわゆる『日本人男性』が、鼻息を「フォーン!!」と出している絵を思い出しました。
この主人公は自分で考える。
男性が自身の中の、いわば身勝手なヒエラルキー(本人はその大切な『ヒエラルキー』は『世の常識』と同等という感じですが)をグイグイ押し付けてくる感じに対し、少なくとも「自分のそれとは違う」とわかっている。ぶれないし流されない。
まあそういう女性がはなっから主人公な話なんですけれども。
世の中に信じれるものって、そんなに無いです。
私には「絶対死ぬ」くらいしか無い。
そんな中、信じれるものに受け入れてもらえるって、そりゃここから出たくないよなと思いました。
世間的には、その信じれるものは「結婚」とか「家庭」とかあるのでしょうが、その中に「コンビニ」があり、それを手に入れることができたわけですから、信じれるもの、自分がいるべき場所が見つかった、とても幸せな話だと思いました。