シンゴジラ 途中
圧倒的平等感。
ネタバレあり!!ご注意ください。
シンゴジラを観た。
予習として、1954年の最初の『ゴジラ』を前日に観た。ちなみに初めてのゴジラシリーズ。最初と最後だけ観てるってことになったな。
第一弾目のゴジラは面白かった。
大人向けで、完結で、馬鹿な人が出てこないから馬鹿なやり取りもなくて、でも答えの出ない問題はあり、それぞれ自己完結し、で、大人しか出てこなくて面白かった。
『シンゴジラ』は、好きな男性と見に行ったのだが、感動ポイントがまっぷたつに分かれた。
私は「ゴジラかっこいい」
男性は「ゴジラ害獣!人間ドラマに感動」
まあ、震災とかあって、わかる。
ココらへんは難しい。
私は関東大震災当時関東に住んでいて、福島第一原発が吹っ飛んだのに気付く映像をNHK(だったと思う)でリアルタイムで見ていて、「ああ、終わった」と思ったのを覚えている。
そもそも「今日死ぬかもしれない」と思って生きていたタイプなので、覚悟を決めたというか、納得した。そして粛々と関東で暮らした。
近しい人をあの震災で亡くしているわけではないので、おこがましい気がして言ったことも出したこともないけれど、一回「人生終わった」と、あの映像を観た関東の人は思った人もいると思う。
だからこそ、意見が二分するんだと思う。
抗えないもの=ゴジラが持つ圧倒的平等感に、一瞬物事がフラットになる感覚。学歴も学閥も地位も名誉も関係なく、突然人生は終わる。死はいつだって寄り添っているけれど、金持ちと貧乏人じゃ、親密度が違う気がする。
でもでもでもでも そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!
ちなみに、私の一番感動したところは、ゴジラがなんかわからないやつをゲーッと吐いた後、よくわからない光線が背中から出てきたりして、東京を火の海にしながら練り歩くところです。
あの、何ていうんでしょう、サムシング・グレイト感がたまらなかった。
『ナウシカ』の巨神兵が蘇った感じとか、「死の七日間戦争」のあの殺伐とした感じを、リアルトーキョーで感じることが出来たのがよかった。
「きつい」「つらい」と想像していて苦しんでいたことが、映像化されたことによってより現実味を帯び、「いかに逃げるか」を必死で考えていたりすることにより、シュミレーションが増えて楽になったのかもしれない。プラス、どうしたって誰かが不幸になると、自分を攻めてしまう。「私に何かできたんじゃないか」「もっと私がこうしていれば」そういう苦悩やしがらみみたいなものを取り除いてくれたのも、ゴジラだったのかなと思う。
だって、サムシング・グレイトならしょうがない。
そもそもの1954年の初代の『ゴジラ』が、大戸島でシケが続くと「『ごじら』のせい」みたいな感じで、海に生娘一人だけ船に乗せて生贄に出していたそうで、今は神楽として風習が残ってるみたいな諸星大二郎先生的な流れだったので、最初の世界感踏襲してるし、そもそも最初の自殺のシーンから踏襲してるし、比較的シンプルな形で観ることの出来たタイプだと思います。